2009
0730
2021

西尾維新『クビキリサイクル』

以下、ネタバレ感想注意。
内容は、戯言の中の戯言(ザレゴトオブザレゴト)なのでさらに注意。

読むに至った経緯はこうです。
①化物語の会話が琴線にふれる。言葉回しがすごい好き。
②原作は誰だ→西尾維新
③西尾維新?ジャンプのメダカボックスの原作者じゃねーか。
④化物語はアニメ見終わったら見るとして、違う作品読もう。
⑤違う作品は何か→戯言シリーズ→これ、ラノベランキングに入ってたやつだ。
⑥じゃあ、読もう
・・・という感じです。

そして、私のファーストインプレッションは間違ってなかった。
めちゃくちゃ面白い、というか私好み。
何より、言葉回しというか、文章というか、会話の流れというか
それらが悉く琴線にふれます。
世界の捉え方もすごく共感できる(その真偽は別はして)

また、ミステリー要素や推理要素も面白いです。
二転三転して、最後の最後に大どんでん返し。カタルシスはすごいです。
でも、私はそっちよりも上記の方に琴線がよりふれました。

しかしながら、別に初めて触れるような作品ってわけでありません。
何となく似ているような作品はいくつかあげられます。
「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」や「車輪の国、向日葵の少女」などなど。
ミステリー要素や、独特な世界の捉え方とか、通じるものはあるんじゃないかと。
ただ、何度もいうように何かに影響を受けていない作品なんかはないと個人的には
思いますし、事実、西尾さんも影響を受けた作家さんをあげていますしね。
そんな下らない私の比較考察なんかどうでよいくらい、私は好きです。

そして私が衝撃だったこと。
これが、2006年「のこのライトノベルがすごい」で一位をとっていたこと。
これは、世界の捉え方に共感したのか、ミステリー物として高評価だったのか、
はたまたそのどちらもだったのか、私にはわかりかねます。
しかし、前者だったら少し怖いw
この本を読んで世界が広がったと思っている人が多かったら少し怖いです。
こういう捉え方ができるんだ、私が思っていたことは言語化すると
こういうことだったんだ、と思うこと自体全く悪いことではないと思いますが
それでも、何故かちょっと怖いです。
哲学の本を読んだ時のあの感じに似ています。ちょっと悟ったようなw
これは、あくまで西尾さんの世界観だってことは留意するべきだと感じました。
作品中に、そのような旨も表現されているようないないような。

そして、読んでいて印象に残ったのは「天才」というワード。
西尾さんにおいては、天才というワードに物凄い拘りを感じますw
ジャンプの「めだかボックス」も登場人物は所謂天才達ですよね。
西尾さんは自身を天才だと思っているのか、そうじゃないのか
まだ一冊読んだだけでは愚考すらできないですが、ちょっと気になります。
ただ、邪推をするならば、後者な感じがしなくもないです。

そして、おそらく西尾さんの中で「天才」という定義は確立しているんでしょうけど(アトガキなどから)、
浅学な私にはいまいち理解ができませんでした。
ただ、西尾さんが表現したい天才はとても解り易いです。ステレオタイプというかw

そして多分、私を含め読者の多くは作中に出てくるような天才ではないでしょう。
だからこそ、羨望・嫉妬・憧れ・不快・意味深・感嘆といったような
肯定・否定入り混じった感情を抱き、結果として作品に対する高評価に繋がるのではないか、と。

さらに-これは私個人的な思いかもしれませんが-その作者たる西尾さんを、
天才達を生み出す西尾さんを「天才」だと思ってしまうのでないでしょうか。
少なくとも、私に出来ないことが出来る西尾さんは私よりも天才に近いw
作中に出てくるような天才からしてみれば、些細なことかもしれませんが
西尾さんの博識さと文章力には感嘆してしまいますけれどもね、私は。
私の三つか四つ上で、このような作品が描けるなんて・・・
・・と思うのも無理からぬことですよw
まぁ上には上がいますからね、とここは場を濁すこととしますが。

しかしながら、西尾さん自身はそのようなことは微塵も思ってないと
私は肯定的に解釈したいです。
アトガキに以下のような記述があります。
「天才の価値を見出せるのは天才ではありません。(中略)
天才を理解するのは、いつだって凡人です」
つまりです。
西尾さんのスタンスは、天才を理解『できる』凡人なのではないかと。
そして私はこうも思うわけです。
それができること自体、一種の天才なのではないかと。

さらに極論ですが。
私達読者は、作中の天才を理解できると思い込まされることで
所謂多くの一般民衆たる凡人とは、一歩抜きん出た凡人であると思うことができ、
そこに一種のカタルシスを得るのではないでしょうか。
「人とは違う」・・・それは何て甘美な言葉なのかといつも思います。
自分はやっぱりどこかで、究極的に凡百たる他人とは違うのだと
そう思わざるをえない、「ヒト」ではない「人」としての性質が
この作品を好んでしまう所以なのかもしれませんね。

まぁ戯言ですけどね。

以下、私が気に入った台詞抜き出しです

■7P
「無能だったらそれはそっちの方がいいんだ。とんでもなく愚鈍だったなら。
生きている理由をそもそも考えないほどに、生きている意味をそもそも考えないほどに、
生きている価値をそもそも考えないほどに鈍感だったなら、この世は楽園でしかない。
平穏で、平静で。些細なことが大事件で、大事件は些細なことで、
最高の一生を終えることができるんだろうよ。」
→これは、本当にその通りだと思ってしまいました。いや、思ってますw
中途半端な人間が一番辛い世の中なんじゃないかとついつい思ってしまうわけですね。
天才じゃないけど、そこまで馬鹿じゃない、と客観的で謙虚なのか、自惚れなのか
解らない意識がそう思わせてしまっているのでしょうかね。
本当に、自分は他人を馬鹿にして生きているんだなーと再認識させられます。

■8P
「世界は優秀に厳しい。世界は有能に厳しい。
世界は綺麗に厳しい。世界は機敏に厳しい。
世界は劣悪に優しい。世界は無能に優しい。
世界は汚濁に優しい。世界は愚鈍に優しい。」
→上に同じ

■8P
「人の生き方ってのは、要するに二種類しかない。
自分の価値の低さを認識しながら生きていくのか、
世界の価値の低さを認識しながら生きていくのか。
その二種類だ、」
→どっちを選んでも楽そうは楽そう。

■42p
収穫逓増→「《現実的な問題として一旦ついてしまった差を埋めることは
まず不可能だ》という意味だ。お金であろうと才能であろうと、それは同じらしい。」
→時々、「現実的」と「客観的」の使い分けがわからなくなるわけですが・・
現実生きてきて、そのような経験をすることは嫌というほどあります。

■59P
女権拡張とかウーマンリブ→「自分が何もできないことに対して
なるだけ安易な理由を求めているように私には思えるけどね。」
→作者の意見を、フィクションたる登場人物に語らせるという手法を
考えた人こそ、天才だと思いますw

■61P
「区別と差別の間には本来何の違いもない」
→そーかなー?と思いました。

■92p
「できないとやらないは一緒」
→座右の銘にしたいぐらいの一文。全くその通りです。
凡人たる私は、人より多くやらないといけないと
思いに思いまくるわけですが。まぁやったから結果がでるわけでもないんですけどねw

■96p
「自分の値打ちは自分がよく知っている。
頭の悪いいい加減な連中の評価なんてこっちから願い下げだね」
→そう思えるような人間になってみたいです。
私も民衆迎合反対!と超然主義であってみたいw

■112p
「能力に秀でた人間には二種類ある。選ばれた人間と、自ら選んだ人間。
価値のある人間と、価値を作り出す人間とだ。」
→私にとって、全女性は前者だと思います。

■125P
「他人のために感情を発揮できる人間はね、何かあったときに他人のせいに
する人間だからだよ。」
→言うたんな、と思いました。

■249p
「得意不得意、得手不得手というものはあっても、本来専門
なんてものはあるべきではない。」
→全くその通り。特に日本ね。
どう考えても他専攻についても理解があれば、視点はその分広がるわけです。
問題は、その能力が私にはないってことですがw

■267p
「天才は異端から生まれる。・・・・ただし異端が全て天才だとは限らないがね」
→厨二病のことかぁ!と思った私を誰が責められよう。

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